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神様からの預り子

神様からの預り子

流産 

    ●流産

治療を開始して4ヶ月目に初めての妊娠反応が出た。

通院患者の中には、厚みが5cmを越えそうなカルテを持っている人もざらにいた。
それだけ長い期間に渡り治療をしているのだ。
私ももっと時間がかかるだろうと覚悟をしていたので、少し拍子抜けした気分だった。

夫の実家は古くからの田舎町にある。
そこでは挨拶代りに「子供はまだか?」と聞かれることも多かった。
そして、子供が出来ない原因は嫁にあるとされることも多い。

年始の挨拶で伯父(姑側)を尋ねた際に、「今年は子供を」と言われ、
また、「どうして出来ないのか」と尋ねられた。
その言葉は夫にではなく、私に向って投げかけられた。
同行した姑は勿論、夫も何も答えようとしなかった。
その伯父の娘が不妊治療を経験し、子供を授かったにもかかわらず、
ズカズカと土足で踏み込んでくる。
『嫁』には人格がない!?…そんな扱いであった。

このように不妊に対する理解も知識も少ない環境にあったので、
夫と相談し、妊娠が確実になるまでは誰にも公表しないでおくことにした。

妊娠が発覚してしばらく、夫の曾祖母から電話が入った。
これには伏線がある。
結婚して間もなく、舅が亡くなり、やむを得ずに姑との同居が始まったのだが、
それに伴っていろいろな問題が発生し、結果4ヶ月で別居をすることになった。
曾祖母は私たちが別居していることを知らされていなかったのだ。

敬老の日に夫の名で曾祖母に贈り物をした。
その礼を言うために曾祖母は電話をくれたのだが、
夫の実家と思い込み、贈り物に書かれた連絡先へかけてきた。
しかし、それは私たちの別居先だった。

ひょんなことから別居がわかり、曾祖母は電話の向こうで呆れていた。
その勢いで曾祖母は一方的に話しつづけた。
「子供はまだなの?」
「つくる気がないの?」etc
曾祖母は訳あって遠方で暮していた。
それで、私は曾祖母を写真でしか見たことがなかった。
声を聞くのもこの日が初めてであった。
初めて話しをすることもあって、なるべく話しを聞こうと努めたが
あまりにも一方的な内容に、最後は半ば無理矢理に電話を切った。

やっと授かったのに、一番大事な時だというのに…。
怒りに震えている私がいた。

曾祖母は、自分の孫になら言わないであろう言葉をまくし立てた。
「はじめまして」でもなく、「ありがとう」でもなく。
『嫁』には人格がない!!…そう確信せざるを得なかった。

電話を切ったあとも震えが止まらず、仕事先の夫に電話して訴えた。
そして、私は夫に言った。
「この子にもしもの事があったら、それはおばあちゃんのせいだから!」

それから1週間後。
その日の夕方、夫の趣味の会の会合が実家で開かれることになっていた。
そのための用意を夫と朝から半日かけてしていた。
買い物先で腰が重たく感じたのだが、疲れたのだろうと気にもせずにいた。

会合が終わるのを姑と供にTVを見ながら待っていた。
夫の実家は風がよく通るせいか、その日も肌寒く感じた。
それで姑に掛布団を出してもらい、くるまって待っていた。
そのうちお腹の調子が悪くなり、トイレに行ったところかなりの量の出血があった。
妊娠のことは姑にも話してなかったので、急遽説明をし、病院へ電話をした。
電話では、その夜一晩様子を見て、明朝一番で受診するようにと言われた。
出血がひどかったので、何度かそう伝えたのだが、解答は変わらなかった。
近くの病院にかかったほうがいいかもと、それも尋ねたが、解答はやはり同じだった。

翌朝、受診後にそのまま入院となった。
「流産のおそれがある」と書類には書かれていたが、
正直、諦めの気持ちの方が強かった。出血は一晩続いていたのだ。
そして翌日、『完全流産』との診断を受けて退院をした。




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